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古代のロマンをたずねてpart.2

古代のロマンをたずねてpart.2

星田妙見宮

さて、次に行ったのは星田妙見宮です。




鳥居がありました。
実は昨日(2月8日)が星まつりだったようです。
一日違いで残念です。
鳥居の提灯はその名残です。



鳥居




星田妙見宮の前身は古来の磐座信仰の聖地だったのだそうです。
地元では、この巨石を七夕伝説の牽牛・織女になぞらえ、参道途中にある天尊社には、天野川の辺に立つ織り姫を描いた大きな絵が飾られています。



わが国では“七夕”と書いてタナバタと読みますが、本来の音訓にはその読みはありません。


古くタナバタとは棚機(機織り機)のことで、水辺に置かれた棚機でカミの衣を織りながらカミの訪れを待つ巫女をタナバタツメと呼んだのだそうです。


そこに、旧暦七月七日の夜、天の川をはさんだ牽牛と織女とが年に一回会うという中国伝説が伝来して、中国の織女がわが国のタナバタツメと習合したものなのだそうです。





途中




星田妙見宮は由緒書によれば、
『平安時代、弘仁年間(810~23、嵯峨天皇の頃)に弘法大師が獅子窟寺(交野市私市)で修行中、天から七曜の星(北斗七星)が3ヶ所にわかれて降ってきた。一つは星田高岡山の星の森、も一つが降星山光林寺で、今一つがこの妙見山・小松神社のご神体である』とあります。




今の星田妙見は『小松神社』を名乗る神社ですが、由緒書きに『本座祭神:天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)は、仏教では北辰妙見大菩薩(ホクシンミョウケンダイボサツ)と、神道・陰陽道では太上神仙鎮宅霊符神(タジョウシンセンチンタクレイフシン)と呼ぶ』とあるように古くから神仏が混淆した星辰信仰の霊地なのだそうです。







星田妙見宮




妙見尊は、神道家には天之御中主尊と称し、陰陽家には北辰星といひ、日蓮宗徒には妙見菩薩と仰ぎみています。


星田妙見宮にはいわゆる本殿はありません。

石段を登りきった猫の額ほどの平地に建つ拝殿には『星田妙見宮』の扁額が、軒下には十二支を記した円盤がかかり、ここが星辰信仰の聖地であることを示しています。



方位磁石




龍もいました。




龍雲楼





この石を持ち上げて願い事を言うと願いが叶うのだそうです。
結構重いと思うと…紐で繋がっていました。





おもかる石






隣には荒神さんがあります。





荒神さん


拝殿の裏の雑木林の中に注連縄を張った大きな岩が2個座っていました。

これがご神体で、1個は左手すぐに、も1個は正面すこし離れた処にあります。


伝承にいう、天から降ってきた北斗の星というのがこれなのでしょう。
木の枠から覗いたのですが、近すぎて写真に撮ることができませんでした。



もともとは神が依りつくとされる磐座(イワクラ)で、影向石(ヨウゴウセキ)とも呼ばれ、古い自然信仰の姿を保っているのですね。



さて、ここの参拝を終えJR星田駅まで歩きました。

今回も充実した一日となりました。




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